水無月ネクの雑記、備忘録

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なぜ最初に『キャラテーマ曲歌詞乗せ方式』のキャラソンを出揃わせなかったのか──(ときメモ2)

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はじめに、今回の話は答えがあるものではなく、疑問の投げかけであり、仮説の提起である。答えは一緒に考えていこう!!!

 

ときめきメモリアル2 ボーカルトラックス』(以下、ボートラ1)というキャラクターソングアルバムがある。ときメモ2として初のアルバムとして、これからキャラクターの魅力をもっと理解していってほしいという方針上重要な作品である。その収録内容についての話。

 

ときメモ2に登場するヒロイン(隠しキャラを除く)10人に対して1曲ずつと、ゲーム本編のOPテーマ曲である『勇気の神様』の全11曲が収録されているアルバムなのだが、『勇気の神様』を除く、各キャラに対して新規に用意された10曲のうち、実に6曲が、ゲーム本編中で、ヒロインキャラが登場する際に流れるテーマBGM(インストゥルメンタル)にそのまま歌詞を乗せたものである。

この『キャラテーマ曲歌詞乗せ方式』に関しては、オリジナルサウンドトラックの小冊子にて、メタルユーキ氏が言及していたと記憶している。

「初代ときメモのキャラソンを考えていたころ、キャラのテーマに歌詞をそのまま乗せられたら良かったのにな…と思ったので、ときめき2のヒロインのテーマは歌詞を乗せられるようなメロディラインにした」

といったような話だった。(手元に件の小冊子が無いため、確認後修正する可能性あり)

ゲーム本編中でもおなじみのテーマBGMに、そのキャラの基本情報を歌詞として乗せていくことにより、先日の記事で言及した『キャラキャラ感』がより強くなり、「そのキャラにとって初めてのキャラソン」が担うべき、キャラクターの紹介という役割が十分に果たされる。

↓↓先日の記事↓↓

minaduki-nek.hatenablog.com

ときメモ2のキャラソン展開では、まず説明、導入的な曲を用意して、それから描写を深めたり切り口を変えた曲をどんどん増やして、キャラクターを多角的に表現していこうという戦略が当初からあったのであろう。先日Twitterのフォロワーさんから聞いた話によると、ときメモ初代のキャラソンは、1曲目から突飛な歌詞の内容だったりしていることもあるとのこと。上記のメタルユーキ氏の言葉通りであれば、ときメモ初代は、そもそもキャラテーマ曲のメロディラインが歌詞を乗せられるようなものではなかったし、キャラソンを展開していこうという発想自体、ゲーム開発時にはなかったのかもしれない。現にPCエンジンときめきメモリアル』の発売(1994年5月28日)から、藤崎詩織のボーカル曲『教えてMr.Sky』の発売(1996年12月5日)までには2年半以上の年月が経っている。

ときメモ初代のキャラソン作りで得た教訓を活かして、ときメモ2では『キャラテーマ曲歌詞乗せ方式』のキャラソンを出揃わせる…のかと思いきや、冒頭で紹介したアルバム『ボートラ1』において、10曲中4曲はこの方式が使われておらず、ファンが初めて耳にするメロディラインの、いわば完全新曲であったのである。

これは何故か。少々前置きが長くなったが、本題である。

 

『キャラテーマ曲歌詞乗せ方式』が用いられなかった10人中4人のキャラテーマ曲は、歌詞を乗せるのに適したメロディラインではなかったからだろうか?と思えばそうでもない。赤井ほむら、一文字茜、水無月琴子の『方式』曲は、それぞれのキャラクター名義のシングルCDに後日収録されており、伊集院メイの『方式』曲は、CD収録こそないものの、『ときめきメモリアル2 ミュージックビデオクリップ~サーカスで逢いましょう~』に収録されている。不可能が理由というわけではないようだ。

では『方式』によって作られた曲の出来はどうだっただろうか。赤井ほむらの『ゆけ!赤井ほむら!』、一文字茜の『赤い鼓動』は、確かにキャラクターの紹介の役割は果たしているが、ギャルゲーヒロインとしての魅力を感じて好きになってくれ!と言うには曲調が勇ましすぎるかなと思う。これら2曲を差し置いて先に『ボートラ1』に収録された『あそびにいこう』『Don't worry 〜ひとりでもだいじょうぶ』は、それぞれ、友情と愛情の間にある穏やかな気持ち、忙しい女の子の恋心、といったようにヒロインらしい描写になっている。

水無月琴子の『方式』曲である『好きと云えなくて』は、キャラクターの説明も、ヒロイン的な恋心の描写も充分出来ているように思える。『ボートラ1』に収録されなかったのは何故なのか…。オリジナルサウンドトラック小冊子のメタルユーキ氏コメント曰く…

「和風を前面に打ち出す琴子の曲は一歩間違えると年寄り臭くなる。ギャルゲーのヒロインとしての魅力と両立させるのが難しかった」(要出典確認)

とのこと。曲を作るだけでもこうした苦労があり、更に歌詞を乗せるとバランスの再検討が必要だろう。単純に『方式』曲の完成が『ボートラ1』の発売に間に合わなかったのかもしれない。

さて、伊集院メイの『方式』曲である『The most Electric Girl in the world』であるが…これは先述の通り、CD収録が無く、発表も最後期で、存在自体知る人が少ないものである。曲の内容としても、恐怖の大魔王が世界を支配すると言わんばかりのものであり、とてもギャルゲーヒロインとしての魅力を伝えようというものには聴こえない(間違いなく伊集院メイの一面であり、面白くはあるのだが)。全ヒロインに『方式』曲を用意するのは不可能ではないと先述したが、赤井ほむらの正義のヒーローをイメージしたBGMの対比で作られた、悪の組織のボスのテーマのようなBGMをギャルゲーヒロインのキャラソンにするにはかなり無理があると言わざるを得ない。

余談となるが『ボートラ1』に収録された『ブラックダリア』は、クールビューティーを前面に押し出した曲。伊集院メイというキャラクターは、尊大ぶってはいるが、世間知らずで天然ボケをやらかしたり、身長の低さや年下であることも相まってのミスマッチやギャップの可愛らしさが魅力であり、さほどクールビューティーが押し出されているわけではない。しかし後の発表である『CATCH MY EYES』、『Missing Piece』もかなりのクールビューティー曲。伊集院メイは、ゲーム本編中では、割と高音でキンキンした声でしゃべる方のキャラなのだが、上記の3曲においては、本編中のセリフでは聞けないような低音域の歌声が聴けるのである。このクールビューティー路線は何故用意されているのか…それは「歌手、田村ゆかり」の表現力の幅を世に知らしめたかったからではないかと勝手に推測する。

 

ざっくりとまとめると、最終的には『方式』曲として仕上がったものの『ボートラ1』には収録されなかった4曲、その原因として推定される要素は以下の通り

赤井ほむら

正義のヒーローをイメージした曲調が勇ましすぎて、ギャルゲーヒロインとしての魅力が表現できない。

伊集院メイ

ほむらの曲の対比として作られた、悪のボスのような曲調をギャルゲーヒロインのキャラソンにするのはとても無理がある。それと「歌手、田村ゆかり」の表現力の幅を世に知らしめたかったからw

一文字茜

〇ザ〇ザ〇ートの子〇唄のオマージュである曲調がやはりヒロイン描写とマッチしなかったか。出来上がった『赤い鼓動』を聴いても、どこか夕暮れの土手で殴り合った後に友情が芽生えた二人のような雰囲気がw

水無月琴子

『方式』曲の製作が間に合わなかったくらいしか理由が思い当たらない。先に『ボートラ1』に収録された『春のゆき』においては、和風少女であるという自己紹介がなされていないし、琴子の三角関係に揺れる心情描写が、後の発表である『方式』曲『好きと云えなくて』よりも踏み込んだものである。もし先に出来ていたのであれば、『好きと云えなくて』の発表を先にしたほうが良いように思うのだが…。

 

ときメモ初代での教訓を活かして、ときメモ2においてのキャラソンづくりの展開には、当初から「ある程度」方針があったのであろう。あくまでも「ある程度」である。最初に『方式』を使わなかった4人の、ゲーム本編中のキャラテーマ曲を作曲していた段階では、歌詞を乗せるという後先を考えるよりも優先したいものがおそらくあったのだ。ときメモ2自体、膨大なデータやセリフの中で整合性が取れない部分が散見されるので、その一環だと考えておけば良いだろう。

はじめに書いた通り、この話に答えはない。ここからは君も一緒に考えてみてくれ!!

ファミ通の攻略本風で終わりますw