水無月ネクの雑記、備忘録

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『キャラソンはその世界の流行歌』説(ときメモ2)


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どうも、ときメモ2のキャラソン聴き込み隊の水無月ネクです。

今回は何回目かのキャラソン記事です!

「ゲームの世界」「キャラソン」「現実世界」の関係性について何度か考える機会があったので、それをまとめてみようかと。

 

キャラソンの”立ち位置”を仮定義→再解釈

作品のグッズ展開やメディアミックスが広がれば広がるほど、その制作に関わる人数は多くなり、表現に一貫性を持たせる難易度は高くなる。アニメとゲームでキャラの性格や口調が若干異なったりすることがあるのが良い例だ。ときメモ2においても、ゲーム本編とキャラソンの歌詞では、やや性格や主義主張が異なると思われる箇所がある。

そこで自分は、「キャラソンとは、現実世界からのアプローチで、ゲーム世界上のキャラクターを表現しようとしたもの」ではなく「ゲーム世界の中で、キャラクター自身が、その世界の流行歌などから、自らの心情に近いものを選んでいる」のではないかという仮説を立てた。

この説を思いついたきっかけは、ときメモ2のドラマCD。これは購入当時に1回通して聴いただけなので、何枚目のどこのシーンか忘れてしまったが、赤井ほむらがバスの中で『ゆけ!赤井ほむら!』を歌うシーンがある。このシーンを聴いた時に「作中にキャラソンが登場しても良いんだ…とすると、キャラソンというのはいったいどういう意味付け、立ち位置なんだろう?」という考えが生まれたのである。

現実世界のスタッフたちが、ゲームキャラを表現するために作ったはずのキャラソンが、作中にも登場してしまうというのはどういうことなのだろうか。

例外『ゆけ!赤井ほむら!』と、メイの”願望”

『ゆけ!赤井ほむら!』に関しては、歌詞の内容や赤井ほむらのキャラクターからして、自分でアニソンなどを参考にして作詞、作曲したものなのだろう。バスで披露したカラオケ音源は、電脳部の下っ端を脅すなりして作らせたのかもしれない。そんな方向にも妄想が広がるが、本題はその他のキャラソンときメモ2のキャラクターには、作詞作曲が趣味だったり、歌手デビューしていたりする者はいない。すなわち、仮説に従えば『ゆけ!赤井ほむら!』以外のキャラソンは、キャラクターそれぞれがその世界で流れている曲からセレクトしたものということになる。

そう考えると、ゲーム中とキャラソンの齟齬に説明がつくことがいくつかある。彼女たちは「自らの心情に”近い”ものを選んでいる」と先述した。この”近い”という部分が肝で、要するに完全に自分のことを表現している曲ではないけど、親近感を覚えるという曲。あるいは今は違うけどいつかこうなりたいと思える曲。こういった曲をチョイスしているのではないか。

この仮説で、一番簡単に説明がつくのが伊集院メイのクールビューティー志向である。彼女の魅力とは、伊集院家の令嬢として背伸びをしているが、本当は純情で少し意地っ張りな女の子であるところだと思う。そうすると彼女は自身の願望として、『ブラックダリア』や『CATCH MY EYES』、『Missing Piece』を選んでいるのだろう。

『Super Special Day』については、曲にキャラ自身の口調が含まれたりしているので、作詞作曲の心得があってもおかしくない伊集院メイが自ら作ったという可能性もある。

しかし、自分が推す説は、多少語尾にクセをつけて差別化を図ろうとしているアイドルグループの曲、というもの。「先輩…一緒に、帰りましょう?」と言えなかった照れ屋な彼女なので、この曲を自身で作詞作曲するのはハードルが高いのではと思う笑)

この曲をカラオケで歌った後、主人公に曲について聞かれて「たまたまメイと語尾が似ていて気になった曲なのだ。たまにはこういう曲も良かろう」などと照れ隠しをする方が似合うのでは……といった思いからだ。

『世界でいちばんささやかな奇跡~Miracle Love~』の矛盾

続いては個人的に最も問題視している、白雪美帆のキャラソン『世界でいちばんささやかな奇跡~Miracle Love~』だ。この曲には、「恋する気持ちの素晴らしさの前には、夢見たメルヘンの世界も色褪せる」という描写がある。これはゲーム中の白雪美帆のシナリオと決定的に矛盾する。

彼女と親交を深めていく中で、メルヘン世界についてどのような考えを持っているかを聞く機会がある。そこでわかるのは、彼女はメルヘン世界からの卒業をテーマにしているのではないということ。

メルヘンはフィクションである事実を受け入れつつも愛している、という成熟した考えを持っているので、メルヘンを恋愛に置き換えるなどということはあり得ない──と自分は考えている。

彼女はこの曲に出会い、歌詞の中の主人公に想いを馳せるのである。

「途中までは、私に似ていますね。でも……恋をするとメルヘンが色褪せてしまうのでしょうか……」と寂しさを感じるのかもしれない。しかし「私は違う」という想いを新たにするのかもしれない。

『天使のホイッスル』に対する(水無月ネクの)願望

最後に、これは番外というか、男のくだらない願望である。

佐倉楓子のキャラソン『天使のホイッスル』には、「初恋からの大失恋エピソードを聞いてくれてありがとう」という部分がある。これを公式によるキャラクターのエピソード描写であると受け取ってしまうと、佐倉楓子には、主人公との出会いの前に初恋の相手がいたということになる。

しかし、ゲーム世界の中で、彼女が可愛い流行歌を見つけただけだとしたら…そうした事実があったということにはならない。

……ちょっと嬉しくないだろうか!?初恋の相手は自分であってほしい的な幻想が気持ち悪いだろうか!?なあに、良いじゃないか(笑)

まとめ

今回の話は「公式との解釈違い」が発生してしまった際に、自らの中でどう処理するかの具体的方法の一つと言える。

個人的には、公式が示した見解はなるべく正確に記憶はするものの、受け入れるかどうかは自分の好みで決める。

公式設定に矛盾なく、自分の中で納得のいく論理立てが出来ればそれで良いのだが、どうしても不可能な場合は、もうその設定については触れないか、都合よく捻じ曲げる(笑)

そのくらいの姿勢で作品を楽しんでいるという、自らのスタンスの表明でもある本記事でございました。以上!!!