水無月ネクの雑記、備忘録

Twitterアカウント水無月ネクのこぼれ話や備忘録です

想像(妄想)は自由というお話〜例『琴子と日常』〜

イラストや漫画、小説にするまでは行かなくとも、お気に入りのキャラクターに関するオリジナル展開を妄想することが誰しもある…あるよね?この界隈の方々ならあると思う( ´∀`)

そんな時、物語の中に『自分自身』をどう置くか、あるいは置かないか…これは人の数だけ形があると思うので、ここでは自分の形というか、考え方を示してみたい。

 

水無月ネクは、名前(HN)の由来となった『水無月琴子』というキャラクターを1番の推しとしている。f:id:minadukiNEK:20211203223729j:image

このキャラクターが紡ぐ物語が頭を過ぎると、時折それを捕まえて『琴子と日常』という、1ツイートに収まる超ショートストーリーを書くことがある。(Twitterハッシュタグ #琴子と日常)

自分はこれを書く際、水無月琴子の相手役として『自分自身』を想定することがほとんどである。

物語の中に自分自身を登場させ、キャラクター達とのコミュニケーションを想像する『夢小説』というジャンルがあり、自分がやっていることはこれに近い。

ゲーム『ときめきメモリアル2』の主人公は、名前を自由に設定出来るし、目元が隠れた造形であるため、自分自身を投影することは製作サイドとしても織り込み済みであろう。

しかし『ドラゴンクエスト』シリーズの主人公のような「はい、いいえ」しか言わない主人公と比べると、セリフや設定が多く、ある程度キャラ付けが為されている。

そのため、自分自身ではない「ときメモ2主人公」というキャラクターと、水無月琴子のカップリングという物語も考え得る。

よって、ときメモ2に関しては、

①自分自身(の分身)がヒロイン達と交流する。主観的。

②ひびきの高校のいち男子生徒というキャラクターがヒロイン達と交流する。客観的。

という楽しみ方が主にあると思う。

伝え聞いた話ではあるが、ときメモ本家のプレイヤーよりも、ときメモガールズサイドのプレイヤーの方に②が多く見られるらしい…ガールズサイドの主人公の方がキャラ付けが強めに為されているのだろうか?

 

水無月ネクは、先述の通り①を中心に妄想を楽しむ。しかし、今回主張したいのは「こんなもん全くの自由。①、②に収まらん形もいくらでもあるだろう」と言う事。

自由なのは当たり前。なのに何故こんなことをわざわざ言うのか?それは、たまに「自分などは、この美しく素晴らしいキャラクター達と触れ合うべきではない」と言ったような言説を見かけるからである。

そうは言っても、それこそ自由。例えば、創作は客観視こそ至上、自己投影や感情移入はしない主義なのだ──と主張する方には、自分から申し上げることは無い。

気になるのは、本当は自分が入り込んで見たいけど、畏れ多い…自分なんかでは申し訳無い気がする…などと尻込みしてしまう人がいるのではないかということ。もしそんな方がいるんだとしたら…もうそれは『一歩』の勇気だけ。あなたの愛するキャラ、愛する世界が、あなたを悪いようにはしない。自分を愛して、その世界の愛に飛び込んで欲しい。

「このキャラは、自分などを愛さないだろう」とどうしても思ってしまうのなら、むしろそれを原動力に、自分を変えてみると「創作に出会って人生変わった」といったようなことにも繋がっていくかもしれない。

また「このキャラは自分など愛さない。だから良いんだ」といった倒錯的な悦びに浸るのも一周回って良いかもしれない。

 

妙なノリの話はこのへんで、後は自分のスタイルについて。どこかでなにか間違いが起こりまくって、誰かの参考になることがあるかもしれないので(^q^)

「琴子と日常」で使っている手法?としてまず1つ。水無月琴子の相手役というのは、それはもう全く水無月ネクの中の人そのものである。自分自身がもう社会に出て○○年目のいい大人であることから来る観点や、最近見聞きしたこと、興味関心があることをそのまま物語に組み入れている。

しかし一点だけ気をつけていることがある。それは「口調」

人格や設定は水無月ネクそのものだが、この「相手役」には、なるべく言葉遣いのクセや語尾に気をつけ、ときメモ2主人公のような口調で喋ってもらうように心がけている。特に言語学的な知見があるわけではないから正確かどうかはわからないが─。

そうした方が、水無月琴子との会話が自然になる気がする…したがって、琴子のセリフを考える際も、口調や語尾がなるべく原作準拠になるよう気をつける。ただ、ここでの琴子の思考回路は、もっともらしい理由をつけながらも、限りなく自分に都合が良いものである(笑)自分による自分のための物語なのだから良いではないか。セルフツッコミでも、仲間のツッコミを待つでも良いだろう。

あまりしっかりと固めているわけではないが、これまでで踏まえてきた主な設定としては、自分も琴子も高校を卒業してそれなりの年数が経っている、二人は毎日を共に過ごしている(結婚という形に限らない)といったあたり。

ただ、まだ形にすることは少ないが、あらゆる形で日々妄想を膨らませている。例えば水無月琴子の立場として、先述の②のように「ときメモ2主人公」というキャラクターと良い仲になっている妄想や、恋愛感情も無く相手もいない、高校生活を過ごすいち女子生徒である妄想、名も無きモブキャラとの関係の妄想…はたまた、西洋文化に一定の理解を示す妄想などなど。

ときめきメモリアルというゲーム自体、プレイ毎に過程や結末が異なるため、誰がどんなプレイをしたかによって未来は無数に生み出されていくという考えが馴染みやすいのではないかと思う。全ヒロインが全プレイヤーと、ありとあらゆる可能性をもった未来を紡いで行くのである。また、ときめきメモリアル2においては、ヒロインの進路が変化するという要素が追加されたため、特に後日談において、様々な妄想を受け容れる懐の深さがあるゲームになったと言える。

 

以上を踏まえて自分は、原作に全く描写が無かったり、大きく異なるような設定の妄想を展開する際は、一応理由付けのような描写をするようにはしているが、あまり原作準拠をしなければならないと肩肘を張ることはなく、自由に妄想を楽しんでいる。

1ツイートに収まる程度の文章を書いているだけでずいぶん大げさな話だと自分でも思うが、何が言いたいかというと、2次創作において、自分で自分に枷を嵌めるのは辞めようということ。

自分がいても良いし、オリキャラがいても良い。原作を多少はみ出しても良いし、キャラ設定だけを借りて世界観は1から起こしても良い。(昔『ときめきファクトリー』にて、公式設定で兄がいる水無月琴子の下に、更に弟がいるという設定で少し書いたこともあった)自分の1番のファンは自分という気持ちで、創作を楽しんで頂ければ…そんな風に自由な気持ちで作られた創作を、見る側としても楽しみたいものである。