水無月ネクの雑記、備忘録

Twitterアカウント水無月ネクのこぼれ話や備忘録です

想像(妄想)は自由というお話〜例『琴子と日常』〜

イラストや漫画、小説にするまでは行かなくとも、お気に入りのキャラクターに関するオリジナル展開を妄想することが誰しもある…あるよね?この界隈の方々ならあると思う( ´∀`)

そんな時、物語の中に『自分自身』をどう置くか、あるいは置かないか…これは人の数だけ形があると思うので、ここでは自分の形というか、考え方を示してみたい。

 

水無月ネクは、名前(HN)の由来となった『水無月琴子』というキャラクターを1番の推しとしている。f:id:minadukiNEK:20211203223729j:image

このキャラクターが紡ぐ物語が頭を過ぎると、時折それを捕まえて『琴子と日常』という、1ツイートに収まる超ショートストーリーを書くことがある。(Twitterハッシュタグ #琴子と日常)

自分はこれを書く際、水無月琴子の相手役として『自分自身』を想定することがほとんどである。

物語の中に自分自身を登場させ、キャラクター達とのコミュニケーションを想像する『夢小説』というジャンルがあり、自分がやっていることはこれに近い。

ゲーム『ときめきメモリアル2』の主人公は、名前を自由に設定出来るし、目元が隠れた造形であるため、自分自身を投影することは製作サイドとしても織り込み済みであろう。

しかし『ドラゴンクエスト』シリーズの主人公のような「はい、いいえ」しか言わない主人公と比べると、セリフや設定が多く、ある程度キャラ付けが為されている。

そのため、自分自身ではない「ときメモ2主人公」というキャラクターと、水無月琴子のカップリングという物語も考え得る。

よって、ときメモ2に関しては、

①自分自身(の分身)がヒロイン達と交流する。主観的。

②ひびきの高校のいち男子生徒というキャラクターがヒロイン達と交流する。客観的。

という楽しみ方が主にあると思う。

伝え聞いた話ではあるが、ときメモ本家のプレイヤーよりも、ときメモガールズサイドのプレイヤーの方に②が多く見られるらしい…ガールズサイドの主人公の方がキャラ付けが強めに為されているのだろうか?

 

水無月ネクは、先述の通り①を中心に妄想を楽しむ。しかし、今回主張したいのは「こんなもん全くの自由。①、②に収まらん形もいくらでもあるだろう」と言う事。

自由なのは当たり前。なのに何故こんなことをわざわざ言うのか?それは、たまに「自分などは、この美しく素晴らしいキャラクター達と触れ合うべきではない」と言ったような言説を見かけるからである。

そうは言っても、それこそ自由。例えば、創作は客観視こそ至上、自己投影や感情移入はしない主義なのだ──と主張する方には、自分から申し上げることは無い。

気になるのは、本当は自分が入り込んで見たいけど、畏れ多い…自分なんかでは申し訳無い気がする…などと尻込みしてしまう人がいるのではないかということ。もしそんな方がいるんだとしたら…もうそれは『一歩』の勇気だけ。あなたの愛するキャラ、愛する世界が、あなたを悪いようにはしない。自分を愛して、その世界の愛に飛び込んで欲しい。

「このキャラは、自分などを愛さないだろう」とどうしても思ってしまうのなら、むしろそれを原動力に、自分を変えてみると「創作に出会って人生変わった」といったようなことにも繋がっていくかもしれない。

また「このキャラは自分など愛さない。だから良いんだ」といった倒錯的な悦びに浸るのも一周回って良いかもしれない。

 

妙なノリの話はこのへんで、後は自分のスタイルについて。どこかでなにか間違いが起こりまくって、誰かの参考になることがあるかもしれないので(^q^)

「琴子と日常」で使っている手法?としてまず1つ。水無月琴子の相手役というのは、それはもう全く水無月ネクの中の人そのものである。自分自身がもう社会に出て○○年目のいい大人であることから来る観点や、最近見聞きしたこと、興味関心があることをそのまま物語に組み入れている。

しかし一点だけ気をつけていることがある。それは「口調」

人格や設定は水無月ネクそのものだが、この「相手役」には、なるべく言葉遣いのクセや語尾に気をつけ、ときメモ2主人公のような口調で喋ってもらうように心がけている。特に言語学的な知見があるわけではないから正確かどうかはわからないが─。

そうした方が、水無月琴子との会話が自然になる気がする…したがって、琴子のセリフを考える際も、口調や語尾がなるべく原作準拠になるよう気をつける。ただ、ここでの琴子の思考回路は、もっともらしい理由をつけながらも、限りなく自分に都合が良いものである(笑)自分による自分のための物語なのだから良いではないか。セルフツッコミでも、仲間のツッコミを待つでも良いだろう。

あまりしっかりと固めているわけではないが、これまでで踏まえてきた主な設定としては、自分も琴子も高校を卒業してそれなりの年数が経っている、二人は毎日を共に過ごしている(結婚という形に限らない)といったあたり。

ただ、まだ形にすることは少ないが、あらゆる形で日々妄想を膨らませている。例えば水無月琴子の立場として、先述の②のように「ときメモ2主人公」というキャラクターと良い仲になっている妄想や、恋愛感情も無く相手もいない、高校生活を過ごすいち女子生徒である妄想、名も無きモブキャラとの関係の妄想…はたまた、西洋文化に一定の理解を示す妄想などなど。

ときめきメモリアルというゲーム自体、プレイ毎に過程や結末が異なるため、誰がどんなプレイをしたかによって未来は無数に生み出されていくという考えが馴染みやすいのではないかと思う。全ヒロインが全プレイヤーと、ありとあらゆる可能性をもった未来を紡いで行くのである。また、ときめきメモリアル2においては、ヒロインの進路が変化するという要素が追加されたため、特に後日談において、様々な妄想を受け容れる懐の深さがあるゲームになったと言える。

 

以上を踏まえて自分は、原作に全く描写が無かったり、大きく異なるような設定の妄想を展開する際は、一応理由付けのような描写をするようにはしているが、あまり原作準拠をしなければならないと肩肘を張ることはなく、自由に妄想を楽しんでいる。

1ツイートに収まる程度の文章を書いているだけでずいぶん大げさな話だと自分でも思うが、何が言いたいかというと、2次創作において、自分で自分に枷を嵌めるのは辞めようということ。

自分がいても良いし、オリキャラがいても良い。原作を多少はみ出しても良いし、キャラ設定だけを借りて世界観は1から起こしても良い。(昔『ときめきファクトリー』にて、公式設定で兄がいる水無月琴子の下に、更に弟がいるという設定で少し書いたこともあった)自分の1番のファンは自分という気持ちで、創作を楽しんで頂ければ…そんな風に自由な気持ちで作られた創作を、見る側としても楽しみたいものである。

格闘技、筋トレ、サプリが同時に人の役に立った日


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どうも。充実した格闘技ライフを送っている水無月ネクです•̀.̫•́✧

水無月ネクは、かつての記事に書いたように、今は流れ流れて総合格闘技のジムに通っている。

↓↓かつての記事↓↓

 

minaduki-nek.hatenablog.com

 

minaduki-nek.hatenablog.com

 

しかし時間割と好き嫌いの関係で、総合格闘技ジムの中でもキックボクシングのクラスにしか出てない(笑)K-1世代だからね。仕方ないね。

新社会人の頃に通っていたキックボクシングのジムで覚えたテクニックを使ってみるものの「その技術はどちらかというとムエタイ寄りで、現代の高速化した攻防においては遅れを取ることがある」とのこと(´ . .̫ . `)

昔取った杵柄が活きる部分もあれば、そうでない部分もある。頭と体に新しいものをインストールする醍醐味を感じられて、日々楽しいものである。

 

これまた過去記事参照になるが、大学時代は部活動として古流柔術に取り組んでいた。そこから、いくつもの縁が今も繋がっているわけだが、その内の一人の後輩から最近誘いを受けることがある…

「最近ようやく近代格闘技に興味が湧いてきました。レクリエーション感覚で楽しみたいので、教えて下さい」

大学生当時、同輩、後輩たちの中では、古流を修めながら近代格闘技にも興味があったのは自分くらいのものだった。仲間たちはどちらかというと古流ならではのロマンに魅力を感じていたように思えた。

ようやく自分の出番というか、近代格闘技の魅力を伝えられる時が来たなと思い、自身の知識を惜しみなく伝えているつもりである。実は今日もその集まりで、市営の体育館で汗を流してきたところだ。

今自分は、ジムで昔の知識を活かしたり殺したり、新しい技術を教わったり、それを仲間との寄り合いで教えたりといういくつもの局面にさらされている。

これが非常に刺激的で楽しい。現在進行形のインプットにアウトプット、さらに過去のものと照らし合わせての取捨選択、再構成も入り乱れ、格闘技漬けになっているという気分が味わえる。

 

そんな中、今日はまた別の後輩からのアプローチがあった。彼は大学を出て以降も自主的に古流柔術の練習を続けているのだが…

「体作りに近代的手法を取り入れたいです。バーベルやマシンでのウェイトトレーニングのやり方を教えて下さい」

…しょーがねーな!!午前はみっちりキックを教えて、昼からウェイト教えたる!!!

と、言いつつ、習い事をやってない期間に覚えたウェイトトレーニングの知識を活かす機会があって良かったと思う水無月ネクであった(ㆁωㆁ*)

 

こうしてダブルブッキングした予定を強引に1つにまとめて面倒を見ることにしたのが本日であったのだが、ウェイト希望の後輩が連れてきた更に下の後輩が、練習終わりに持ちかけてきた話が…

「とにかく筋肉、体重が増えない。体質改善から考えなければいけないとは思っているがどうしたら良いかわからない」

今度はプロフェッショナルダイエットアドバイザーとしての知見が求められた。ダイエットとは何も減量に限らない。資格勉強と個人的な研究から得た知識を惜しみなく授け、結果的に、帰り道に一緒に薬局でエビオス錠を買ったのであった。

 

今までコツコツと身につけてきたことを、今日一気に人のために還元することが出来た。このやりがいある1日を書き留めたいと思って、ちょっと久々にブログまで書くことにした(*゚∀゚)

自分を頼ってくれる、自分の知識に出番をくれる仲間に感謝。

何となく、今日みたいなことが将来につながるといいなと思ったのであった──。

すぎやまこういち先生を偲んで 〜ゲームとの出会い、思い出語り

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すぎやまこういち先生の訃報があった。未だに信じられない。そんな中、Twitter上で見かけた言説にしっくり来た。「すぎやまこういち氏(以下ご高齢まで表舞台で活躍された故人の方数名)は、我々がその存在を初めて知った時から既におじいさんであったため、おじいさんのまま永遠に居てくれるんではないかという感覚があった」というもの。まさしくこの通りに思っていたが、現実は現実。悲しいものである。

自分は、先生の功績を詳細に知るわけでもなく、技法がいかに優れているかもわからない。ただ、良い曲をたくさん聞かせてもらったな…という思い出話をつらつらとしていこうかと思う。

 

Twitterアカウント上(@NEK46300099)で何回か書いているが、水無月ネクのゲームとの出会いはファミコンであり、ファミコンをプレイして育った「自称」ファミコン世代である。

ここで「自称」が付くのには理由がある。水無月ネクは1986年産まれ。ファミコンが爆発的にヒットした頃にようやく産まれているかどうかの世代であり、就学前にゲームデビューしたとしても、その頃には既にスーパーファミコンが発売されている。

経済的事情?からか、中古のファミコンが我が家にやってきたのが1994年頃。特に自分が欲しがったわけではなく、父が戦争シミュレーション系のゲームをやりたくて買ってきたのだと記憶している。父はファミコン本体とソフト数本を仕入れてきたのだが、そのソフトの中に含まれていたのが『ドラゴンクエストⅡ 悪霊の神々』であった。

我が家での初めてのファミコン起動。そこに選ばれたのは、意外にもドラクエⅡ。父は空気を読んで、自分しか興味が無いであろう戦争系ゲームを避けたのか、それとも父自身ドラクエに興味があったのか…そこは父のみぞ知るが、あえて聞くまでもないだろう。ともあれ、リビングのテレビを家族みんなで囲んで、ドラクエⅡの起動画面を見たのが自分の原体験である。当時はアルファベットも読めず、START、CONTINUEの意味も解らなかったが、ロゴのカッコ良さ、ドラゴンクエスト・マーチの勇壮さで、これから冒険が始まるのだというワクワクを駆り立てられた。主に父の操作で冒険がスタートし、やがて敵が現れ…敵からのダメージでウィンドウが揺れる演出に、祖母が「テレビ壊れた?」と言ったのが印象深い思い出である。

父が居ない間もちょくちょくプレイし、何とか冒険を進めようと試みるも、小学校低学年の自分では、考えが足りず敵が倒せない、根気が足りずレベルが上がらない、ストーリーが読み取れず行き先が分からない、管理力が足りず復活の呪文を間違える等々、無い無い尽くしでとてもクリアには程遠かった。しかし、ドラクエⅡに悪いイメージは全く無い。むしろ今でも大好きで、大切な思い出のゲームだ。そうなったのは、他でもないBGMのおかげ。自分は、プレイに疲れてしまったり、嫌になってしまったりして途方に暮れる度に、その場で手を止めて延々とBGMを聴いていた。特に復活の呪文の入力画面で流れる『Love Song 探して』は、呪文が有効ではないと言われてしまい文字通り途方に暮れ、仕方なくこの曲をループして聴く内に、惹き込まれていった曲だった。

後に知ったのだが、この曲はそもそも「復活の呪文の入力はプレイヤーにストレスをかける。この場面には最高の曲を用意してストレスの緩和を」との思いから作られたとどこかで聞いた(要出典確認)。つまり自分は製作側の思惑通りだったということだが、こんな風に気持ちよく嵌められるなら本望である。

結局、水無月ネク少年はドラクエⅡをクリアすることはなかった。しかし、冒険の途中で手を止めて聴いた『王城』や『街の賑わい』そして『遥かなる旅路』などが自分の心の奥深くに刻まれた。(ちなみに『果てしなき世界』を聴くところまで進むことが出来なかった…ごめんよムーンブルクの王女…)

 

ファミコンドラクエⅡその他ソフトが家に来てから、母は近所との世間話の中で「ウチの子はもうファミコンで遊んでない」という話をいくつか聞いたらしく、以後そこかしこの家からソフトをもらって来てくれるという超ファインプレーを連発。

おかげさまで『マリオブラザーズ』『スーパーマリオブラザーズ』『ポパイ』『魔界村』『コナミワイワイワールド』『キン肉マン マッスルタッグマッチ』『ドラゴンボールZ 強襲!サイヤ人』『星のカービィ 夢の泉の物語』などなどの名作に巡り合うことが出来た。

そんな中、また珍しく父が新たにソフトを買いに行くと言うので、中古ショップに付き合った際に手に取ったのが『ドラゴンクエストⅢ そして伝説へ…』であった。

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皆さんご存知のこの素っ気ない起動画面。ドラクエのテーマはどうしたんだ?タイトルロゴは?そう思ったのも束の間、パーティーの自由編成に感動し、夢中になって編成を考え、そして街の外へ──そこで『冒険の旅』である。この曲がまた悠久を感じさせるというか、どこか哀愁が漂うところもあるというか…聴けば聴くほど味がある名曲だ。単純にストーリーの進行上、次の行き先が分からなくなった時、ダンジョンやアイテムの場所が分からなかった時、そしてこの先勝ち進むにはどれだけレベルを上げれば良いのか分からなかった時…この曲もまた、プレイ中途方に暮れた自分に沁み入った。

ドラクエⅢも、初めて船を手に入れたあたりでセーブデータが消えてしまい(これも名曲…名SE?ぼうけんのしょが消えてしまった効果音w)しばらく投げ出していたのだが、再度気持ちを奮い立たせてクリア!おかげで『おおぞらをとぶ』『勇者の挑戦』『そして伝説へ』といった歴史的名曲に出会えた。

人生初のRPGクリア。『そして伝説へ』とともに流れるスタッフロールにはいたく感動した。しかし、先述の通りのゲーム遍歴である水無月ネクには、スタッフロール最後の「TO BE CONTINUED TO DRAGON QUEST Ⅰ」の意味が分からないのであったw(相当後になって、ロト3部作の繋がりを知ることになる)

家族みんなで始めた『Ⅱ』、姉と共同でピラミッドの謎解きやレベル上げをした『Ⅲ』、しばらく後になって父と共同で進めた『Ⅶ』。我が家に数あるゲームの中でも、特にドラクエに関しては家族との思い出が強い。家族とともにプレイする中で、すぎやまこういち先生の音楽を聴いていた。(なぜか小学校の掃除の時間の音楽もドラクエⅤだったw)だからこそ、自分はすぎやま先生の音楽には特に強いノスタルジーを感じるのかもしれない。最早自分の人生になくてはならないドラクエ音楽。物語とも相まって、本当に多くの思い出を作ってくれた先生に、ただひたすら感謝。これからの人生においても、先生の曲で過去を振り返ったり、未来に進む勇気を奮い立たせたりしていくことだろう。

 

最後に、ドラクエのCDの紹介。『交響組曲 ドラゴンクエスト』シリーズは絶対おススメ。シリーズをプレイしたことがある人なら絶対損はさせない。ゲームの音楽CDというものを買ったことが無いという人にこそ、この圧倒的なクオリティを聴いてほしい。 

store.jp.square-enix.com

 

 

このブログで触れていくかどうかまだ未定だが、アラフォー水無月ネクはいまだにせっせとRPGをやっている。それは同人エロRPGで、しかも特殊な嗜好を表現するものである。本筋の重厚なストーリーに加えて、随所にパロディやメタネタが含まれるのだが、これがまたドラクエの影響が色濃く、ファンなら思わずニヤリなのである。コンシューマからPCゲー、ソシャゲも経て同人ゲームをやっているが、やっぱり自分はドラクエのエッセンスを感じられる作品が好きだということらしい。そんなことが嬉しくも誇らしい秋の夜であったとさ。

『キャラテーマ曲歌詞乗せ方式』が2曲あるキャラが…どうしても出揃わない『方式』曲(ときメモ2)


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前回の記事で触れた『キャラテーマ曲歌詞乗せ方式』であるが、先日の記事で触れたとおり、全キャラ分出揃うまでには紆余曲折を経た。更に、なんとときメモ2のヒロインの中には、この『方式』曲が2つあるキャラまでいるのである。1キャラに1つしかないキャラテーマ(例外的に2つ:八重花桜梨)に対して、全く異なる歌詞が乗り、編曲がなされている。まるで『ムーンライト伝説』と『夢はマジョリカ・セニョリータ』のように──。(これ、ムーンライト伝説は知ってるけどもう一つは何?と思う方は調べてみてください。面白いのでw)

何故このようなことが起きたのか?例によって明確な答えがあるわけではないが、推測していこうと思う。

 

ヒロインごとに2つの『方式』曲が作られたタイミングとして、各ヒロインに対して多くの『方式』曲が発表された『ときめきメモリアル2 ボーカルトラックス』(以下ボートラ1)で1曲目、各ヒロイン名義でリリースされたシングルCD『ときめきメモリアル2 Blooming Stories』(以下ブルスト)で2曲目というパターンがある。該当キャラは以下の2人。

寿美幸

1曲目『大吉頂戴!─はっぴぃちょーだい─』

2曲目『ふぇあ・あ~・うぃ・ご~いん?』

八重花桜梨

1曲目『桜樹のささやき』

2曲目『星空の夜に』

この二人のうち、先述の通り、八重花桜梨に関しては、そもそもキャラテーマ曲自体が、同じ曲を暗い曲調(春を待ちわびて 第一楽章)と明るい曲調(春を待ちわびて 第二楽章~雪どけの流れ~)の2曲に分けた形で作られている。第一楽章が『桜樹のささやき』、第二楽章が『星空の夜に』としてそれぞれ出来上がっていったため、『方式』曲が2つあることはある種必然とも言える。

寿美幸の場合はどうか。寿美幸のキャラテーマ曲『不幸のジジョー・・・』に対しても、第二楽章と言えなくもない曲として『美幸は”B・L・U・E”』が存在するが、この曲は『不幸のジジョー・・・』のテンポとキーを下げ、どんよりとした曲調に仕上げたものであり、美幸の『方式』曲の基になっているとは言い難い。美幸に関しては『不幸のジジョー・・・』ただ1曲を基にして、2曲の『方式』曲が出来ている。

 

寿、八重とは少し異なった経緯で、隠しキャラである白雪真帆にも、以下2曲の『方式』曲がある。

1曲目『LOOK AT ME!』

2曲目『わかってよ』

異なる経緯の説明のために、白雪真帆というキャラについて。白雪真帆とは、メインの攻略可能ヒロインである白雪美帆の双子の妹。ときメモ2のゲーム本編中において、美帆をデートに誘うとまれに真帆が現れる。真帆は表面上美帆のものまねをしているが、会話をすると趣味嗜好が美帆と正反対であることがわかる。この「いつもと違う美帆」との仲を深めていくと、卒業寸前に自らの正体を明かしてくれるというストーリーである。つまり、高校生活3年間の内は、主人公(≒プレイヤー)は、「いつもと違う」様子も美帆の一部であると考えているため、真帆にはキャラテーマが用意されていない(デートにはほぼ見分けがつかない姿で、美帆のテーマで現れる。真帆用にテーマを分けてしまえば正体がバレバレになってしまう)。

ちなみにときメモ2の攻略可能キャラクターは、メイン10人、隠し3人の計13人。真帆のほかにも2人隠しヒロインが存在する。しかし真帆以外の2人は、誰かに紛れるように隠れているわけではない(発見してしまえば主人公もプレイヤーもそのキャラ本人を認識する)ので、ちゃんとキャラテーマが存在する。白雪真帆だけが、唯一ゲーム本編中にキャラテーマが存在しないのである。

そんな彼女にキャラソンが用意されたのが『ときめきメモリアル2 ボーカルトラックス2』(以下ボートラ2)である。この1つ前にリリースされたアルバム『ボートラ1』の時点で、10人の『方式』曲が6つ出揃った。残りの4曲は、先日の記事で推測したが、何らかの事情によって、登場が『ボートラ2』よりもずいぶん後になった。

↓↓先日の記事↓↓

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『方式』曲は1曲も収録されていない『ボートラ2』。白雪真帆には『LOOK AT ME!』が初めて用意された。しかし、白雪真帆にはそもそもキャラテーマが無いため、当然これも『方式』曲ではない…はずなのだが、この『LOOK AT ME!』を基にして、『恋の選択』という白雪真帆のキャラテーマが作成され、ときメモ2の外伝的ストーリーであるゲーム『ときめきメモリアル2 Substories Dancing Summer Vacation』(以下DSV)内で使用された。つまり『LOOK AT ME!』は「遡って『方式』曲になった」のである。

更に『恋の選択』に歌詞が乗る形で『わかってよ』が作られ、DSVの白雪ルートエンディングの曲になり、白雪美帆&真帆名義のブルストに収録された。

彼女の場合、先に1曲のキャラソンが出来、それを基にキャラテーマ曲が出来、更にそこに歌詞を乗せた『方式』曲があるという流れとなる。

時系列を整理すると以下の通り。

2000年5月10日 アルバム『ボートラ2』発売。『LOOK AT ME!』を収録。

2000年9月28日 ゲーム『DSV』発売。ゲーム中のBGMとして、白雪真帆キャラテーマ曲の『恋の選択』、白雪ルートエンディング曲として『わかってよ』を収録。

2000年10月4日 シングルCD『ブルスト 白雪美帆&真帆』発売。『わかってよ』を収録。※『DSV』と連動して寿、八重、白雪の『ブルスト』は同時発売。

このような、強引とも思える変則的な経緯で、白雪真帆にも『方式』曲が用意されたのである。

 

さて、この『方式』曲ダブり問題の当事者は、寿、八重、変形で白雪真帆である。その共通点は、ときめきメモリアル2の外伝シリーズ1作目『DSV』のメインヒロインであるということ。

外伝のメインヒロインに抜擢されると、そのヒロインごとにシングルCD『ブルスト』が発売され、『方式』曲が収録される──そんな法則性を読み取ったのが当時の水無月ネク。『DSV』では、既に『ボートラ1』で『方式』曲が示されているキャラが抜擢された(寿、八重)ため、今後新しく外伝が出来る際は、『方式』曲が既にあるキャラには再度、『方式』曲がまだ無いキャラには新しく曲が作られるのだろう、と予測していた。しかし、外伝第2弾『ときめきメモリアル2 Substories Leaping School Festival』(以下LSF)にて早くも予測は外れることになる。

『LSF』のヒロインは赤井、一文字、伊集院。それぞれの『ブルスト』においては、赤井、一文字に『方式』曲、伊集院には完全新曲が用意された。

更に外伝第3弾『ときめきメモリアル2 Substories Memories Ringing On』(以下MRO)のヒロイン陽ノ下、水無月、麻生、佐倉に関しては、水無月に『方式』曲、あとの3人には完全新曲となったのである。

白雪真帆に対して、やや不自然な経緯を経てまで『方式』曲を用意したにも関わらず、なぜ『ブルスト』で改めて全キャラに『方式』曲を出揃わせなかったのか。

 

ここからは完全に憶測で、開発現場での方針の推移を書いてみようと思うので、話半分以下で読んでいただければと思う。

「『ボートラ1』でキャラクターのテーマに歌詞を乗せて曲にしたものをいくつか作った。あれを全キャラ分揃えて外伝のエンディング曲にして、『ブルスト』の1曲目に収録しよう!すでに作ったものはリメイクしよう!」

当初の考えはこんな風だったのではないか。しかし、考えを詰めていくにつれて…

「赤井と一文字の『方式』曲は曲調が勇ましく、ヒロイン感があまり無いけど、『LSF』のエンディングはまだ卒業じゃないし、これからも元気に仲良く過ごしていくってことでまあOKかな…しかし、伊集院の悪のボスみたいなキャラテーマだけはどうにもならんな…」

こんな感じで伊集院には新曲が出来たのかなと。更に…

「『MRO』は卒業どころかその後まで描くシリーズ最終作。陽ノ下、佐倉、麻生のキャラテーマのような、元気いっぱい!さあこれからだ!みたいワクワクした曲調はハマらないな…水無月のキャラテーマは穏やかだし、ようやく歌詞ともバランスが取れた『方式』曲が完成したからこれで行くか…」

といったところだろうか。結局陽ノ下、麻生の曲は、これからの日々に焦点を当てた曲になり、佐倉の曲は、これまでの遠距離恋愛を総決算するような曲になった。

 

徐々に綻びが目立つような印象の、ときメモ2における曲作りの経緯。何が原因でこうなっていったのか。それは製作現場の「ライブ感」によるものではないかと推測する。

まずはゲーム本編を作ってる最中。

赤井と伊集院はライバル…赤井はヒーローものが好き…対照的に伊集院の曲は悪のボスのように…

一文字の兄は不良の番長…〇ザ〇ザ〇ー〇の〇守〇…

といった調子で、この3人周りのキャラテーマ曲を「面白おかしく」したことによって、全員分の『方式』曲をギャルゲーのヒロインらしく仕上げるのが困難になってしまった。

このため『ボートラ1』で『方式』曲が出揃わず、この3人の『ブルスト』でも伊集院の『方式』曲が用意できなかった。

そしてMROの開発時。

陽ノ下、麻生、佐倉にはすでに『ボートラ1』で『方式』曲を作っている…そして当初の方針からもう年月が経っていて、モチベーションがフレッシュではない…何より、卒業から更にその先を描くストーリーのエンディング曲なのだから、よりその場面にふさわしい曲を作りたい…

こうして、この時点で初めての『方式』曲となる水無月の分だけが用意され、あとの3人は完全新曲となったのではないか。

ここまで書いてきて、まるで方針が定まっていないことに対しての不満のようになってしまっていることに気が付いたが、そういうことを言いたいわけではない。

ギャルゲーらしからぬキャラテーマ曲を持つ赤井、伊集院、一文字と仲を深めていったときに見られるギャップは素晴らしいものだったし、『方式』曲の替わり?に『MRO』のエンディング曲を務めた3曲はまさしく名曲だった。「ライブ感」から生まれた彩りは、間違いなく強烈なものだった。

ただ、惜しむらくは、同じメロディラインに対して2曲が作られた労力。ときメモ2も、ときメモ初代並みに多くの楽曲が作成されたのであれば、その労力を惜しむことなく、バリエーションとして楽しめたのかもしれない。しかし、最終的にはヒロイン1人に対して10曲無いくらいの曲数に留まったときメモ2の楽曲展開。こうなると、同じメロディで2曲も作ってないで、新曲が欲しかったな…と個人的には思ってしまうのであった……

ネガティブな結論になってしまったが、どの曲も好きです!!!ときメモ2最高!!!

何なら今からでも新曲来てくれてもいいんですよw

なぜ最初に『キャラテーマ曲歌詞乗せ方式』のキャラソンを出揃わせなかったのか──(ときメモ2)

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はじめに、今回の話は答えがあるものではなく、疑問の投げかけであり、仮説の提起である。答えは一緒に考えていこう!!!

 

ときめきメモリアル2 ボーカルトラックス』(以下、ボートラ1)というキャラクターソングアルバムがある。ときメモ2として初のアルバムとして、これからキャラクターの魅力をもっと理解していってほしいという方針上重要な作品である。その収録内容についての話。

ときメモ2に登場するヒロイン(隠しキャラを除く)10人に対して1曲ずつと、ゲーム本編のOPテーマ曲である『勇気の神様』の全11曲が収録されているアルバムなのだが、『勇気の神様』を除く、各キャラに対して新規に用意された10曲のうち、実に6曲が、ゲーム本編中で、ヒロインキャラが登場する際に流れるテーマBGM(インストゥルメンタル)にそのまま歌詞を乗せたものである。

この『キャラテーマ曲歌詞乗せ方式』に関しては、オリジナルサウンドトラックの小冊子にて、メタルユーキ氏が言及していたと記憶している。

「初代ときメモのキャラソンを考えていたころ、キャラのテーマに歌詞をそのまま乗せられたら良かったのにな…と思ったので、ときめき2のヒロインのテーマは歌詞を乗せられるようなメロディラインにした」

といったような話だった。(手元に件の小冊子が無いため、確認後修正する可能性あり)

ゲーム本編中でもおなじみのテーマBGMに、そのキャラの基本情報を歌詞として乗せていくことにより、先日の記事で言及した『キャラキャラ感』がより強くなり、「そのキャラにとって初めてのキャラソン」が担うべき、キャラクターの紹介という役割が十分に果たされる。

↓↓先日の記事↓↓

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ときメモ2のキャラソン展開では、まず説明、導入的な曲を用意して、それから描写を深めたり切り口を変えた曲をどんどん増やして、キャラクターを多角的に表現していこうという戦略が当初からあったのであろう。先日Twitterのフォロワーさんから聞いた話によると、ときメモ初代のキャラソンは、1曲目から突飛な歌詞の内容だったりしていることもあるとのこと。上記のメタルユーキ氏の言葉通りであれば、ときメモ初代は、そもそもキャラテーマ曲のメロディラインが歌詞を乗せられるようなものではなかったし、キャラソンを展開していこうという発想自体、ゲーム開発時にはなかったのかもしれない。現にPCエンジンときめきメモリアル』の発売(1994年5月28日)から、藤崎詩織のボーカル曲『教えてMr.Sky』の発売(1996年12月5日)までには2年半以上の年月が経っている。

ときメモ初代のキャラソン作りで得た教訓を活かして、ときメモ2では『キャラテーマ曲歌詞乗せ方式』のキャラソンを出揃わせる…のかと思いきや、冒頭で紹介したアルバム『ボートラ1』において、10曲中4曲はこの方式が使われておらず、ファンが初めて耳にするメロディラインの、いわば完全新曲であったのである。

これは何故か。少々前置きが長くなったが、本題である。

 

『キャラテーマ曲歌詞乗せ方式』が用いられなかった10人中4人のキャラテーマ曲は、歌詞を乗せるのに適したメロディラインではなかったからだろうか?と思えばそうでもない。赤井ほむら、一文字茜、水無月琴子の『方式』曲は、それぞれのキャラクター名義のシングルCDに後日収録されており、伊集院メイの『方式』曲は、CD収録こそないものの、『ときめきメモリアル2 ミュージックビデオクリップ~サーカスで逢いましょう~』に収録されている。不可能が理由というわけではないようだ。

では『方式』によって作られた曲の出来はどうだっただろうか。赤井ほむらの『ゆけ!赤井ほむら!』、一文字茜の『赤い鼓動』は、確かにキャラクターの紹介の役割は果たしているが、ギャルゲーヒロインとしての魅力を感じて好きになってくれ!と言うには曲調が勇ましすぎるかなと思う。これら2曲を差し置いて先に『ボートラ1』に収録された『あそびにいこう』『Don't worry 〜ひとりでもだいじょうぶ』は、それぞれ、友情と愛情の間にある穏やかな気持ち、忙しい女の子の恋心、といったようにヒロインらしい描写になっている。

水無月琴子の『方式』曲である『好きと云えなくて』は、キャラクターの説明も、ヒロイン的な恋心の描写も充分出来ているように思える。『ボートラ1』に収録されなかったのは何故なのか…。オリジナルサウンドトラック小冊子のメタルユーキ氏コメント曰く…

「和風を前面に打ち出す琴子の曲は一歩間違えると年寄り臭くなる。ギャルゲーのヒロインとしての魅力と両立させるのが難しかった」(要出典確認)

とのこと。曲を作るだけでもこうした苦労があり、更に歌詞を乗せるとバランスの再検討が必要だろう。単純に『方式』曲の完成が『ボートラ1』の発売に間に合わなかったのかもしれない。

さて、伊集院メイの『方式』曲である『The most Electric Girl in the world』であるが…これは先述の通り、CD収録が無く、発表も最後期で、存在自体知る人が少ないものである。曲の内容としても、恐怖の大魔王が世界を支配すると言わんばかりのものであり、とてもギャルゲーヒロインとしての魅力を伝えようというものには聴こえない(間違いなく伊集院メイの一面であり、面白くはあるのだが)。全ヒロインに『方式』曲を用意するのは不可能ではないと先述したが、赤井ほむらの正義のヒーローをイメージしたBGMの対比で作られた、悪の組織のボスのテーマのようなBGMをギャルゲーヒロインのキャラソンにするにはかなり無理があると言わざるを得ない。

余談となるが『ボートラ1』に収録された『ブラックダリア』は、クールビューティーを前面に押し出した曲。伊集院メイというキャラクターは、尊大ぶってはいるが、世間知らずで天然ボケをやらかしたり、身長の低さや年下であることも相まってのミスマッチやギャップの可愛らしさが魅力であり、さほどクールビューティーが押し出されているわけではない。しかし後の発表である『CATCH MY EYES』、『Missing Piece』もかなりのクールビューティー曲。伊集院メイは、ゲーム本編中では、割と高音でキンキンした声でしゃべる方のキャラなのだが、上記の3曲においては、本編中のセリフでは聞けないような低音域の歌声が聴けるのである。このクールビューティー路線は何故用意されているのか…それは「歌手、田村ゆかり」の表現力の幅を世に知らしめたかったからではないかと勝手に推測する。

 

ざっくりとまとめると、最終的には『方式』曲として仕上がったものの『ボートラ1』には収録されなかった4曲、その原因として推定される要素は以下の通り

赤井ほむら

正義のヒーローをイメージした曲調が勇ましすぎて、ギャルゲーヒロインとしての魅力が表現できない。

伊集院メイ

ほむらの曲の対比として作られた、悪のボスのような曲調をギャルゲーヒロインのキャラソンにするのはとても無理がある。それと「歌手、田村ゆかり」の表現力の幅を世に知らしめたかったからw

一文字茜

〇ザ〇ザ〇ートの子〇唄のオマージュである曲調がやはりヒロイン描写とマッチしなかったか。出来上がった『赤い鼓動』を聴いても、どこか夕暮れの土手で殴り合った後に友情が芽生えた二人のような雰囲気がw

水無月琴子

『方式』曲の製作が間に合わなかったくらいしか理由が思い当たらない。先に『ボートラ1』に収録された『春のゆき』においては、和風少女であるという自己紹介がなされていないし、琴子の三角関係に揺れる心情描写が、後の発表である『方式』曲『好きと云えなくて』よりも踏み込んだものである。もし先に出来ていたのであれば、『好きと云えなくて』の発表を先にしたほうが良いように思うのだが…。

 

ときメモ初代での教訓を活かして、ときメモ2においてのキャラソンづくりの展開には、当初から「ある程度」方針があったのであろう。あくまでも「ある程度」である。最初に『方式』を使わなかった4人の、ゲーム本編中のキャラテーマ曲を作曲していた段階では、歌詞を乗せるという後先を考えるよりも優先したいものがおそらくあったのだ。ときメモ2自体、膨大なデータやセリフの中で整合性が取れない部分が散見されるので、その一環だと考えておけば良いだろう。

はじめに書いた通り、この話に答えはない。ここからは君も一緒に考えてみてくれ!!

ファミ通の攻略本風で終わりますw

『キャラキャラしたキャラソン』を超えて──(ときメモ2)

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水無月ネクは、オタクとしては履修が少ないほうである。典型的なオタ気質人間なのに、必修とされるいくつもの名作を知らずにいる。そんな自分がゲームをやりこみ、グッズを集め、キャラソンをカラオケで歌ったりしているのが『ときめきメモリアル2』である。今回はこのときメモ2のキャラソンについて!

 

そのキャラにとって初めてのキャラソン。これはそのキャラの身体的、外見的特徴やバックボーン、口癖などが入ったものになることが多いのだろう。『キャラキャラした感じ』と自分は表現している。そのキャラについての説明という役割を背負っているのである。ときメモ2の初期のキャラソンも、このキャラキャラ感が強いものが多い。

キャラクターの基本情報がふんだんに盛り込まれたこれらの曲たちは、これから広がるキャラソンの世界のイントロダクションとして非常に有効な働きをしている。

しかし、そのキャラにとって2曲目以降のキャラソンが出来上がってくると…いかにもというか、ベタな作りというか…どことなく野暮ったさが出るような気がしている。それが『キャラキャラした感じ』だ。

 

自分のときメモ2におけるキャラソンの好みは、後期の曲に偏る。それは単に時を経た作品の方が洗練されるからではなく、キャラの紹介という制約からある程度解放された曲の方が自分の好みに合うということだろう。また、『キャラキャラした感じ』の曲を初めて聞いたときは「やっぱりな」という感覚がどこかにあった(それは安心感とも言えるのだが)。自分は「誰にどんな曲が用意されるんだろう?」という新鮮さを、より求めていたようだ。

しかしここからが複雑なオトコ心。ここまでは批判めいた評価を下してきた『キャラキャラしたキャラソン』であるが、自分としては「絶対に存在はしていてほしい」のである。1曲目よりも2曲目が好きなのだが、1曲目があっての2曲目なのである。先に少し触れたが、イントロダクション的な働きをしているキャラソンには安心感、安定感がある。そうした働きをしっかり踏まえた1曲目がある上で、2曲目以降があることによって、キャラに対するキャラソンの切り口は多角化するのである。

例えば陽ノ下光のキャラソン。『笑顔の決心』で基本的な性格や、入学して主人公と再会できてからの日々の想い、日常(日曜日)の過ごし方を表現し、『Brilliant』では海でのデート当日の楽しさや、その日を待ち遠しくする様子などが描かれた。『habit』ではかなり仲が深まった上での日常の喜びをバラードで噛みしめるように描いた。『Jewel of Hearts』では、周りの女子たちも恋のライバルかも?という意識に目覚め、『想い…。』でそれは確信に変わる…。

といったように、どんどん切り口を変えてキャラクターを表現していくキャラソン。しかしこの豊かなバリエーションも、1曲目である『笑顔の決心』が無ければ、どこか唐突な感じがしてしまうのである。

 

そのキャラにとっての1曲目のキャラソンは、例えるなら”課題曲”のように、定められた要素を含みながら作られなければならないため、時にベタさや野暮ったさが出てしまいかねない。しかしそれこそが、「ああ、このキャラの歌だな」という安心感につながる。

更には、「これで課題はクリアしたから、この先はもっと掘り下げが深かったり、新しい切り口の新曲が出るのではないか?」という期待感も高まる。これこそが、ベタな1曲目があることによる効果だ。

 

最初期に発表される『キャラキャラしたキャラソン』よりも、後期のキャラソンの方が自分は好きだ。しかし、その最初期の曲の「働き、役目」があるおかげで、その後の曲の表現の豊かさは花開く。

そのキャラにとってのキャラソンの記念すべき1曲目は、こういった味わいを感じながら聴いてみるのも一興ではないかという提案をもって、本文の結びとしたい…が、そもそも1曲目が1番好きだよ!!!という人にとっては「何言ってんだコイツ?」だし大変失礼な話である。また、キャラソンが1~2曲ほどしかないキャラにも当てはまらない。1曲しかないなら課題をこなすしかないし、2曲なら、全く対称的な2曲にするか、似たような曲にするかしかないだろう。少し脱線してしまうが、作品があり、キャラがいて、そこにキャラソンを作っていくのであれば…3,4曲ほどは曲数が欲しい。そのくらいが、1キャラの性格を多角的に表現できるラインなのではないかと考える。ときメモ2は、隠しキャラを除けば各キャラに5曲以上はキャラソンがあってよかったなと率直に思う。ときメモ3や4ではキャラソンの展開が少なく、1キャラに対して2曲ほどしかないから…。

 

キャラソンは1キャラに対して何曲もあるほうが嬉しいね!というだけのお話でした!!!(まとまらない)

『憧れの人に会う』という夢

先日、Twitterアカウントの方で、一生に一度は会ってみたい憧れの人がいますか?と問いかけてみた。

結果は以下の通り。お答えいただいたフォロワーの皆さん(以外もいたかも?)ありがとうございました。

 

アーティストや芸能人に会ってみたいという声から、陛下にお会いしてみたい(!?)といった声まで…フォロワーさんの傾向からか、ときメモ声優さんに会いたいとの声も。

 

かくいう自分はというと、子どものころからK-1に憧れており、特にその中でも、技巧派のトップ選手であった『アーネスト・ホースト』の大ファンで、彼こそが一生に一度は会いたいスターだった。

ボブ・サップとの対戦の際には、リビングで近所迷惑もはばからず叫びながらホーストを応援したことが懐かしい。

社会人となり、運動習慣の確保を懸念していた自分のもとに、なんと「アーネスト・ホーストジム」オープンの報せが入る。すかさず入会した自分は、オープニングセレモニーやセミナーなどで、早くも憧れの存在との対峙を果たしてしまう。しかもチラ見や遠目ではなく、技術指導や訓示まで頂いてしまった。

かくして当時23歳の若者は、ジムに入会しようという踏ん切り以外に特別な努力も必要とせず、一生モノの夢の1つを叶えてしまった。

より詳細な経緯は過去記事にて。

 

minaduki-nek.hatenablog.com

 

 

それ以来しばらくの間、憧れや夢という方向に対してはある程度やり切ったなという、達観のような気持ちが常にあり、張り合いのない日々を送ってきたような気がする。

当時の感覚は、アンケートの3番目に設けた「もう会えたから満足!」に近いものだったが、燃え尽きたような虚しさもあった。これを選択した方が3名ほどいるようなので、憧れの人に会えた日以降どんな気持ちで過ごしているかお聞かせいただきたいものである。

 

そんな自分にもニューヒーローが現れる。

ロックバンド『THE WASTED』。キャリアの悩みや家事育児のストレスを抱える中で、楽しく激しく活動する彼らにどうしても会ってみたいという気持ちが自然と沸き起こった。そうこうする内に、全国ツアーが行われることになり、行ける範囲にも来ることになったので、すぐに駆け付けることに決めた。

ライブの後に結構たくさん話す時間があり、サインも寄せ書きのように全員分頂く神対応で、自作したグッズを見せると喜んでもらえた。

また夢が叶ってしまった…夢というものは、憧れのまま大事にしておくものじゃなくて、積極的にすぐに叶えに行くものなのかなと思える良い体験だった。それと、夢というものは超絶努力の末に叶えるものという思い込みも、必要ないなと思った。憧れの人に会うのに必要なのは、ジムやライブハウスなど、初めての場所に飛び込もうという踏ん切りだけだった。

 

アーネスト・ホーストに会ってからTHE WASTEDに会うまで10年弱の間があった。憧れの人に会うという体験を10年越しに味わったことで心が若返り、今後の人生のうちに会ってみたい人がまだいることに気が付いた。

嫁が自分のために録画しておいてくれた『KNOCK OUT』という格闘技興行で見た衝撃的な試合。知名度こそK-1RIZINに及ばないものの、つい先日(2021年9月9日)放送されたアメトーーク「キックボクシング大好き芸人」にも取り上げられるほどの激闘を演じた『勝次』選手。知った直後からTwitterもフォローしたところ、人柄も尊敬出来てますます好きになった。主に東京で試合をしているので、本気で会おうと思えば『踏ん切り』をつければ良いだけだ。(試合前に観戦に来てくださいと声を掛けられたことも…これに迷わず乗れるかが、夢が叶うかどうかの分かれ道?)

ファイター界隈で会ってみたい人はたくさんいる。コロナ禍が去ればもっと格闘技観戦に行きたいものだ。

格闘技界最大のスターの一人『那須川天心』選手には人生一度は会っておきたいし、叶うことなら話をしてみたい。

 

ときめきメモリアル2で、水無月琴子役を演じた『小菅真美』さんには…さっきまでと言ってることが真逆だが、会わないままで、憧れとして取っておきたいような気持ちになる。元々キャラクターの向こう側に声優をイメージしないタイプなので、特に好きな声優さんなどが居ない。けれど、水無月琴子というキャラクターをどのような思いで演じ、作り上げたのかは伺ってみたい…やっぱり会ってみたいかな…??

複雑なオトコ心だ。

 

今回の話は、あくまでも『憧れの人に会う』という、夢の中のいちカテゴリーの話ではあるが、それを叶えるために必要なことがわかったような気がする。それは、会いたい人の領域に思い切って飛び込む『踏ん切り』だけだ。この話が、憧れの人に会うことを願う人にとっての『踏ん切り』になれば幸いである。